ポゥ子の台湾ぞわぞわ記

台湾の都市伝説・心霊スポット・事件・怖い映画

台湾お化け屋敷【鬼屋】ポゥ子が選ぶ3スポット

 

台湾のあちらこちらに存在する心霊スポット。

中でも鬼屋(お化け屋敷)と呼ばれる洋館や古い邸宅には、それぞれに歴史やストーリーがギュっと詰まっています。

今回は、ポゥ子が独断と偏見でチョイスした鬼屋3選をご紹介します。

 

.今回は「鬼屋」に絞るわよ!
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民雄鬼屋(劉家古厝)

まずは、台湾最強の心霊スポットとして知られる「民雄鬼屋」についてご紹介します。

こちらは、嘉義県民雄郷にある廃墟で、正式名称は「劉家古厝(劉家の旧邸)」です。

ここではさまざまな怪奇現象や霊障が噂されており、過去には日本の心霊番組でも取り上げられたことがあります。

画像 / 民雄郷公所

民雄鬼屋の歴史と基本情報

この建物は、1929年に劉容如という人物によって建てられました。

劉容如は日本統治時代に、当時「打貓街」と呼ばれていた現在の民雄地区で、お米や日用品、セメント、肥料などを取り扱う「三泰合資会社」という商社を開き、巨万の富を築きました。

当時の民雄には、随一の財力を持つ人物が3人いたといわれており、劉容如はその中の一人で、溪口庄長(今でいう町長)も務めたこともあるほど、大きな影響力を持つ人物でした。

 

民雄鬼屋の歴史

1929年頃の打貓街では、豪華な洋館を建てる裕福な一家が多く、劉容如もその流れで自宅の裏手に、洋館を建設しました。

この建物は、閩南様式の伝統建築とバロック様式の洋館を融合させた作りが特徴で、当地では珍しい建築様式でした。

しかし、1945年頃になると、商業の中心は民雄の街中へと移動します。

それに伴い、劉家一族は別の場所へ移住し、無人となった洋館は、次第に荒廃していきます。

1949年には国民政府が台湾へ移転し、多くの軍隊が民雄周辺に駐留しました。

当時は兵舎が不足していたため、一部の部隊が劉家古厝を仮の宿舎として使用していたとされています。

この頃発生したと思われる、同僚を誤って射殺してしまったという悲劇的な事故が、「幽霊騒ぎ」の発端になった可能性が高いといわれています。

その後、長年にわたる無人化、屋根の崩落、老榕樹の侵食が進み、洋館の不気味な印象は一層強まりました。

やがて、「使用人が井戸に身を投げた」、「日本兵同士が撃ち合った」などの伝説が後付けで語られるようになり、「民雄鬼屋」という名前が台湾重に広く知られるようになりました。

 

民雄鬼屋の基本情報

正式名称 劉家古厝
見どころ ・蔦や樹木に侵食された赤レンガの建物
・使用人が身を投げたと噂される井戸(現在は封鎖)
・兵士が乱射したとされる壁の弾痕
主な霊障 ・夜になると井戸の周りに人影が現れる
・建物内で話し声や足音がする
・兵士らしき霊が現れる
住所 嘉義縣民雄郷興中村義橋12號
アクセス方法 台鉄民雄駅から車で15分、または嘉義駅から車で20分

 

民雄鬼屋のあの噂は本当か?

民雄鬼屋には数多くの怪談や噂が伝えられていますが、それらは事実なのでしょうか。

特に有名な3つの噂について、内容を整理してみましょう。

 

①使用人が井戸に身を投げた説

民雄鬼屋には、当時屋敷で働いていた使用人の女性が、劉家の主人と不倫関係にあったという噂があります。

その女性は、事実を知った女主人から密かに虐待を受け続け、精神的に追い詰められた末、屋敷内の井戸に身を投げて自殺したというものです。

しかし、この説については劉家の子孫が明確に否定しており、そのような事実を裏付ける記録も確認されていません。

また、噂の舞台とされる井戸は、現在では安全上の理由から封鎖されています。

 

②日本軍が互いに銃撃し合った説

日本軍の一隊が、日没後にこの場所を通りかかり、怖い噂があることを承知の上で劉家古厝に一夜を明かしたという話があります。

噂によると、その夜、日本兵たちはまるで何かに取り憑かれたかのように錯乱し、互いに銃を撃ち合い、最終的に全員が死亡したとされています。

しかし、日本軍部隊がこの場所で交戦したという公式な記録は残っていないため、こちらも真偽は不明です。

 

③壁に弾痕がある説

劉家古厝を仮の宿舎として使用していた時代、電力不足により夜間の館内は真っ暗だったそうです。

そのような状況の中、緊張状態にある兵士が同僚や上官を幽霊や敵と誤認し、発砲したという説も語られています。

実際に、建物の壁には弾痕らしきものが存在しますが、宿舎として使用されていた際にできた弾痕なのか、真相は現在もはっきりと分かっていない状況です。 

 

民雄鬼屋の現在

民雄鬼屋は現在も、登記上は劉家の子孫が所有する私有財産となっています。

私有地ではありますが、台湾最強の心霊スポットとして定着しており、敷地のそばにある「鬼屋珈琲」も人気を集めています。

2020年の夏には、民雄鬼屋が売却されるのではないかという噂が流れ、台湾全土で大きな話題となりました。

文化・クリエイティブ系の事業者が関心を示し、ホテルや文化創意パークへの転用が検討されたとの噂もありました。

この歴史ある建造物を後世に残そうとする動きもあり、現在は、不気味だった邸宅が、親しみやすい雰囲気へと変わっています。

とはいえ、夜の民雄鬼屋を訪れる勇気は、なかなか持てないという方も多いのではないでしょうか。

民雄鬼屋に足を運ばなくても、2022年に公開された映画『民雄鬼屋』や、人気ユーチューバー「ゾゾゾ」の民雄鬼屋回を視聴することで身近に体験することができますよ。


2022年に公開された映画「民雄鬼屋」
映画の中で「劉家」は「何家」として描かれ、使用人の地縛霊に加え、双子の妹である「何德心」という第二の霊も登場しています。



ゾゾゾ 夏の特別編 台湾スペシャル!
台湾の心霊スポットをあちこち回り、47分頃から民雄鬼屋になります。

 

.ポゥ子も怖がりながら楽しみました。
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基隆鬼屋(林開郡洋樓)

基隆鬼屋は、台湾鉄道・基隆駅のほど近くに位置する廃墟として知られています。

繁華街の交差点という立地ゆえ「台湾で最も地価が高い心霊スポット」とも呼ばれています。

この建物は1931年に建築され、これまでに何度か修復工事が実施されたものの、そのたびに心霊現象が起きるという噂が広まり、長らく放置された状態となっています。

その異様な存在感から、基隆を代表する鬼屋として知られるようになったのです。

画像 / 三立新聞

 

基隆鬼屋の歴史と基本情報

基隆鬼屋(林開郡洋樓)は、1931年に三峡で炭鉱事業を営んでいた林開郡によって建てられた、西洋古典様式の邸宅です。

基隆港を一望できる絶好の立地に建てられたことから、かつては「基隆市十景」の一つにも選ばれました。

立地条件だけでなく建物そのものにも強いこだわりがあり、多額の資金を投じて海外から資材を取り寄せ、空中庭園を取り入れるなど、非常に豪華な洋館でした。

一時はアーティストのアトリエやバーとして利用された時期もありましたが、周辺に高架道路が建設されたことで景観は大きく変化しています。

 

.1966年公開のアメリカ映画『砲艦サンパブロ(聖保羅砲艇)』にも登場したんだって!
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基隆鬼屋の基本情報

 
正式名称 林開郡洋樓
主な霊障 ・建物周辺で女性の泣き声が聞こえる
・建物の窓に顔半分が焼けただれた人が立っている
住所 基隆市仁愛區愛一路45號
アクセス方法 台鉄基隆駅から徒歩5分

 

基隆鬼屋のあの噂は本当か?

林開郡洋樓が「鬼屋」と呼ばれるようになった背景には、「美淇酒吧」というバーに関する話があります。

1950年代、林開郡洋樓の中で営業していたこのバーは、アメリカ軍人が集う場所となっていました。

このバーで働くナナというウエイトレスが、客として訪れていた米兵と恋愛関係になったものの、米兵にとってナナはただの遊び相手に過ぎず、ナナの妊娠が発覚すると米兵は次第に彼女を拒絶するようになりました。

絶望したナナは、店内にガソリンを撒いて放火し、自分自身と米兵だけでなく、当時お店に居合わせた従業員や客も巻き込み亡くなったと語られています。

この事件をきっかけに、地元住民の間では女性の泣き声を聞いたり、夜中に緑色の炎や焼けただれた女性を見たという噂が相次いだといわれています。

しかし調べてみると、この建物で実際に放火事件が起きたという記録は見つかっていません。

 

.実際に火災に見舞われたのは、同名の別の写真館だったという説もあるわよ!
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では、なぜ林開郡洋樓が鬼屋として語られるようになったかというと、その背景には、長年にわたって建物を放置せざるを得なかった事情が関係していると思われます。

この建物は林開郡の複数の子孫が所有者となっており、権利関係の複雑さから、簡単に修復工事を行えない状況が続いていました。

その間に老朽化が進み、荒れ果てた外観が人々の想像力を刺激し、やがてこの一帯で「基隆鬼屋」と呼ばれるようになったのではないかと考えられています。

 

基隆鬼屋の現在

現在、基隆鬼屋は基隆市文化局の支援のもと、所有者である林家の子孫と協力しながら修復作業が進められています。

2022年に開催された基隆市の博覧会では、林開郡洋樓の特別展が行われ、普段は立ち入ることのできない建物内部が一般公開されました。

さらに2023年には、展示空間が国際デザイン賞にノミネートされるなど、心霊スポットとしてだけでなく、文化資産としての再評価も着実に進んでいます。

 

台中烏日鬼屋

台中にある「台中烏日鬼屋」は、地元では古くから知られている心霊スポットです。

特に鬼月(旧暦7月)が近づくたびに、不思議な噂や体験談が再び語られるようになり、毎年のように話題になります。

実際に起きた事件が背景にある建物で、住宅街の一角にありながら異様な存在感を放っています。

Google ストリートビュー

台中烏日鬼屋の歴史と基本情報

烏日鬼屋は、今から約40年前、詹という実業家によって建てられました。

彼は愛人関係にあったホステスに、建物が完成したら正式に妻として迎え一緒に住むことを約束し、ホステスから多額の借金をしていました。

しかし、当時は世間体を重んじる風潮が強く、最終的に詹はその約束を破ってしまいます。

正妻になれると信じていたホステスは深く絶望し、強い恨みを抱いたまま、建物の2階で赤いドレスを身に着けて首を吊り、命を絶ったといわれています。

民間伝承では、幽霊は赤色を恐れるとされていますが、強い怨念を残すために全身に赤色の衣服をまとって自殺すると、赤を恐れない怨霊になれるともいわれています。

この事件については、後々このエリアの里長(日本でいう町内会長のような存在)が、実際に起こった出来事であると認めています。

 

台中烏日鬼屋の基本情報

正式名称 なし
主な霊障 ・深夜に女性の泣き声が聞こえる
・2階の窓辺に赤い服を着た女が手を振っている
住所 台中市烏日區五光路498號
アクセス方法 台鉄烏日駅から車で5分

 

台中烏日鬼屋でささやかれる怖い噂

この事件以降、建物内では怪奇現象が起こるようになり、深夜になると赤いドレスを着た女性の幽霊が現れたり、女性の泣き声が聞こえたりするようになったそうです。

詹の家族は次々と原因不明の奇病に襲われ、最終的にはこの家を離れて引っ越してしまいました。

烏日鬼屋にまつわる怖い噂は、地元住民の間でも数多く語られています

 

 地元で広がる怖い噂 

・赤い服を着た女性が2階の窓辺で手を振っていた。

・幽霊の噂を信じることができなかった当時の里長が「3泊できたら奢る」という友人の賭けに乗ったものの、持参した折り畳み式ベッドがガタガタと動く感覚を覚え、恐怖のあまりその日のうちに逃げ出した。

・事件後にその建物に住んだ人は、ある朝起きてみると自分が部屋ではなく屋敷の外に横たわっていた。

・屋敷で火災が発生したが、2階の主寝室だけはまるで女の幽霊がその部屋を守っていたかのように被害を免れた。

台中烏日鬼屋の現在

この建物は、事件後も人が住んでいましたが、所有者が何度も変わっています。

建物の老朽化が進むにつれ、幽霊の噂もさらに広まり、地元住民の間では資金を集めて取り壊そうという計画が持ち上がったこともありますが、女性の強い怨念を恐れ、計画は実現しませんでした。

また、霊媒師を招いて除霊を試みたこともあったそうですが、ここは亡くなった女性以外の霊も集まる場所になっていたため、十分な効果は得られなかったそうです。

ところが数年前、基隆のある法師が、怨霊となった女性と結婚するという儀式を行った後、女性の霊は去り、他の霊も拠り所を失ったため、それ以降は心霊現象がなくなったといわれています。

現在、烏日鬼屋は賃貸物件として使用されており、外地から来た住人が暮らしているそうです。

 

.気にしない人は大丈夫ね!.

 

今回紹介した「鬼屋」シリーズ以外にも、台湾には有名な心霊スポットがたくさんあります。

民雄鬼屋は私有地でありながら立ち入りが黙認されている珍しい場所ですが、すべての心霊スポットが同様ではありません。

心霊スポットを訪れる際は、立ち入り禁止の場所や私有地への無断侵入は決して行わず、現地のルールや安全に十分ご配慮ください。